ナベノハウス活動記録

熊本コモンハウス「ナベノハウス(鍋乃大厦)」@KNabezanmaiの活動記録です

アフター・リベラル 変幻自在のリベラリズム

11月も押し迫った28日、ナベノハウスでは『アフター・リベラル』読書会がひっそりと敢行されました。本書にはいろいろ不満もあるものの、読書会自体は盛り上がって楽しいものになりよかったです。

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牡蠣鍋

リベラリズムは、もともとはジョン・ロックの統治論などに起源する、王制や封建制に対する個人の権利の擁護から始まったものでした(政治リベラリズム)。さらに産業革命中産階級が勃興して来ると、商業や市場の自由、私有財産の保護を訴える主張もうまれました(経済リベラリズム)。

こうした古典的リベラリズムに対抗するのが、資本家階級を批判し労働者の団結を訴えた共産主義、国家の団結を市場の価値としたファシズムなどです。二度の世界大戦により暴力的に進行した平等化とあいまって、リベラリズムを中心にすえたアメリカやイギリスも国家の統制や福祉政策をある程度踏まえる必要に迫られました。こうして経済リベラリズムを抑制する一方で、両性の平等、個人の尊重をはじめとする政治的リベラリズムは社会に浸透していきました。これがリベラル・デモクラシーです。

リベラル・デモクラシーにおいては、日本ではより共産主義社会主義に親和的な野党と資本主義に親和的な与党という組み合わせが安定的に成立しました。これはアメリカやイギリスなど、西側諸国にも基本的に言えるようです。ところがソ連崩壊後、リベラル・デモクラシーも変容を迫られます。性別や人種や障害といった属性に関係なく、全ての人に平等な権利と機会を求める政治リベラリズムは、左派・右派を問わず共通の認識となりつつあります。その一方で労働組合の弱体化が進み、市場原理主義をとなえる経済リベラリズムがネオ・リベラリズムとして息を吹き返します。

ところが、リベラリズムの徹底は共同体の価値観を切り崩し、個人のアイデンティティを強く要請し(アイデンティティ政治)、それについていけない人々を生み出します。こうした人々が旧来の価値観に過剰に同化したり、リベラリズムを敵視してより権威的なリーダーを求めるようになる、ここに現在の政治的対立が生まれているというのが筆者の見立てです。

筆者は終章で処方箋を提示していますが、これはリベラル・デモクラシーの良い点を踏まえ、民主主義の価値により過剰なリベラリズムの矛を収めるといった提案に思われます。でも、それが機能しなくなっているからこそ「アフター・リベラル」なんじゃないの?と思ってしまうのですが。