『ありえないことが現実になるとき』読書会の記録
去る9月26日、 鍋乃大厦で『ありえないことが現実になるとき』読書会が敢行されました。
この読書会、一か月前から企画されていたのですが運営者が忙しかったりレジュメが作れていなかったり、諸般の事情で開催が遅れに遅れていました。まさにデュピュイの呪いを払しょくできた記念すべき開催でした。
将来起こることを私たちは「リスク」として理解可能なものにしようとしますが、破局が起こると結局は後悔することになります。そもそも、それが果たして起こるのかどうか、起こったとしてどの程度の規模で起こるのかすら予想ができないものなのです。だから、来たるべき破局をあたかも起こったかのように考え、 そこから逆算して現在の行動を決するのだとデュピュイは論じます。
破局を先回りするのは、古き良きノストラダムスの大予言のような無根拠なものであったり、陰謀論的なものになったり、不合理な帰結を招くこともあるでしょう。また、コロナウイルスパンデミックの破局とワクチンの副作用による多数の死者という破局は、ワクチンの使用について対立した行動を引き起こすでしょう。だからこそデュピュイは「賢明な」破局論を提示するのですが、その賢明さとはどのようなものなのかを完全に説明しきってはいないようです。
デュピュイの主張は万人に膾炙するものではないでしょうが、危機を予感した人の行動の指針として示唆するものはあるかもしれません。非常に起こりづらいと考えられる出来事を、私たちは「非常に起こりづらい出来事」ではなく「起こらないこと」にしてしまうとしたら、まず「起こる」という直感を得てしか行動することはありえない。「先見の明」とはこのようなものではないでしょうか。
個人的には、経済学的合理主義への批判はかなり無理筋ではないかと思いました。デュピュイの真価は、気候変動や南海地震のような、今すぐに起こる可能性はほとんどないが遠い将来には必ず起こる破局に対してもっともよく発揮されるように思います。
第一部レジュメ
第二部レジュメ
第三部レジュメ