ナベノハウス活動記録

熊本コモンハウス「ナベノハウス(鍋乃大厦)」@KNabezanmaiの活動記録です

『チョンキンマンションのボスは知っている』読書会の記録

5月9日、緊急事態宣言解除の動きも仄聞する中、手荒い換気のもとZoom読書会が開催されました。

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みぞれなべ

読んだ本は小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている』です。チョンキンマンションのタンザニア人コミュニティは「シェア経済」「負い目を追わない助け合い」のモデルとしてとても興味深いものでした。

まずは担当者のレジュメをどうぞ!

 この本を読んだ感想は、「なるほどついでの助け合いがうまく機能しうるということはわかった、問題は、これは日本の実践にどのような指針を与えるだろうか?」ということでした。

参加者の一人から「自己責任論」にからめて問題提起がありました。日本では「それはあなたの自己責任だ」という他責の文脈で責任を負うべき「自己」が時間をさかのぼって構築され、その攻撃によって集団が脆弱になり、個人化が進む。ところが「チョンキンマンションの⼈々のネットワークは、この⾃⼰責任論を周到に回避するシステムを構築」しているようにみえるということです。

例えば熱が出て味覚がなくなった時、自粛していなかったのではないか、行動に問題はなかったか、ということが多くの関心を集めます。経済的に困窮した時も、自粛要請と関連性はあるか、経営努力を怠った結果ではないかという審査が求められます。ところが、チョンキンマンションのネットワーク的には、病気になっているならとりあえず病院に行こう、経済的に困っているならとりあえずお金をやろう、過去の事情は問わず今起こっていることから判断することになるでしょう。そして、その支援はできる範囲で「ついで」に行われるでしょう。その結果、病気になったり困窮したりした人は、周りに迷惑をかけたと負い目をおわずに済む――というわけです。

しかし、私たちは過去の事情を問うこと、周囲に迷惑をかけていないか気にすることを「しっかりしている」「きちんとしている」と肯定的に評価しますし、チョンキンマンションの人びとは「だらしがない」「信用できない」と映るでしょう。けれども、実際にそのような社会が存在し機能している以上、私たちも何らかのかたちで自己責任論を脱構築したコミュニティが作れるのではないか。

 その可能性を模索してみるのもいかがでしょうか。