ナベノハウス活動記録

熊本コモンハウス「ナベノハウス(鍋乃大厦)」@KNabezanmaiの活動記録です

『誰も知らない』鑑賞会の記録

10月26日、秋も深まってまいりました。北熊本コモンスペース、通称「なべざんまい」では『万引き家族』がパルムドールを受賞した是枝裕和監督の『誰も知らない』鑑賞会が敢行されました。これがなければ万引き家族もなかったと言われる、1988年の巣鴨子供置き去り事件を題材にした映画です。主演の柳楽優弥カンヌ国際映画祭で最優秀主演男優賞を獲得し話題をさらいました。

以下は鑑賞会の報告を兼ねつつ、『誰も知らない』の解題に私個人の感想を交えた記事となります。「なべざんまい」の活動に興味を持ってもらえれば幸いです。

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海鮮鍋

誰も知らない

 

大人たちを描く前半と、子どもたちを描く後半

空港のモノレールから始まるこの映画。汚れた服、憔悴した表情。まさにこのシーンに向かってこの物語は進んでいきます。

次いで引っ越しの場面。大家さんに母と子が挨拶しています。母のけい子は小学六年生の明を紹介します。ところが、いざ引っ越しが終わってみるとトランクの中から小学生になるかならないかという幼い二人が。ここで一気に物語が「異様」さを帯びます。さらに街で待っていたもう一人を加えて、四人の子どもたちがいることが分かります。

引っ越しあとの一家団欒で、けい子は子どもたちに、明以外は外に出ないよう約束します。子供四人の母子家庭では貸し手が付かないことを見越した苦肉の策です。けい子が仕事をしている間のことはすべて明にまかされることになります。食材や日用品の買い出し、料理まで家事を一手に引き受ける明。もちろん学校に行く余裕はありません。

実際に、巣鴨子供置き去り事件では夫が婚姻届も出生届も出しておらず、子どもたちは法的に「いない」ことになっていました。だから、就学通知がくることもありませんでした。

もちろん女手一つで家賃から水光熱費から食費からまかなっていくのは容易なことではない。それでもけい子は子どもたちの髪を切り、身だしなみを整え、子どもたちから慕われています。ただ、明と京子は家庭のおかしさに気づいており、学校に行きたいと言います。けい子はそれをごまかし続けます。

けい子は京子にマニキュアを塗りながら、歌手になろうとしていた時のことを話します。それが京子にとっては外の世界とのつながりでした。京子も痛切に外に出たいと思っている。この生活がいずれ維持できなくなるのは明らかでした。

そのとき、けい子は「しばらく留守にする」との置手紙を残していなくなります。明は家賃の振込、光熱費の支払い、買い出しまでやることに。ここで突然挿入されるのが万引きのエピソードです。コンビニでマンガを読んでいた子どもたちが、明の買い出しのビニル袋に商品を放り込みました。問い詰める店長との会話で、明に父がおらず、母は帰って来ず、学校にも行っていないらしいことがわかります。濡れ衣を着せられそうになった明の誤解をアルバイトの店員が解きますが、このときから「どうもこの子の家庭はおかしい」という暗黙の了解が店員たちになされるのです。

一か月帰ってこないけい子。明は、近くに住んでいる二人の「父」を頼ってお金を無心します。ひとりはタクシードライバー、ひとりはパチンコの店員でした。しかし、一人は「自分の」子どものことを聞くばかりで生返事。一人はお金を出してくれるものの、「ゆきちゃんは俺の子どもじゃないからな」とくぎを刺す始末。

突然、けい子が帰ってきます。しかし、明と京子には一か月も戻らなかったけい子との間に深い溝ができています。不満をあらわにする二人に、けい子は「クリスマスに帰ってくる」とだけ言い残して再びいなくなる。

こうして、「子どもたちだけの生活」が始まるのです。

 

内面化された自己責任論

コンビニはこどもたち「家族」のライフラインであり、コンビニの店員も事情を察して廃棄の食品を渡しています。しかし、それがコンビニの大人たちができる最大限のことでした。店員の一人は警察か児童福祉施設に相談するよう助言します。しかし、明は前にもそういうことがあったが「一緒に暮らせなくなる」から困るのだと言います。店員は何も言えません。本人にその意思がないのなら、それ以上の介入はできない。

ここに、「自己責任論」の基盤があるように思います。仕事があって、学校に行って、という通常のレールから外れて困窮している他人と積極的に関わったら、その責任が自分におおいかぶさってくる。できもしないくせに助けようとするなんて偽善だ!という批判もやってきます。自分の生活をかけてまで他人を助けることはできない。ならば、気づかないふりをしながら、見ず知らずの他人としてできる範囲のことをするしかない。

もちろん私たちはそれなりに裕福で安定した暮らしをおくっているかもしれない。しかし、その余裕は他人にかまうことのできる余裕ではない、自分の生活を充実させるための余裕でしかないのです。そういう意味で、全ての人が自分のことで「いっぱいいっぱい」です。そうした個人あるいは核家族によって構成される社会が、コミュニティを失った現代社会です。

巣鴨子供置き去り事件が発生したのは1988年。高度経済成長の爛熟期です。しかし、この現実は新自由主義が席巻した90年代を経たからこそ映画の中にえがききることができたはず。映画の後半、電気が止まり、ガスや水道が止まり、お金がなくなり、子どもたちの生活は目に見えて追い込まれていきます。観客はもどかしさを感じます。誰か大人が行動しないだろうか、介入しないだろうか。しかし映画は淡々と進んでいく。家賃の滞納をいぶかしんだ大家さえ見て見ぬふりです。「誰も知らない」のです!

もちろん時代状況として、まだ児童相談所はあまり充実していなかったかもしれない。ネグレクト(育児放棄)や児童虐待の問題に光があてられる前のことだったかもしれない。だから今とは状況が違う……とは言えないでしょう。マンションの隣の部屋の住人に挨拶に行くことすら「迷惑」ではないでしょうか。狭いエレベーターの中で世間話をされても居場所に困るのではないでしょうか。駐車場で酔いつぶれた人が倒れていても、せいぜい警察に通報するくらいです。隣の部屋で子供だけがくらしていたら……事件が起こるまで何もしないのではないでしょうか。

そう言えば、飲酒運転で逮捕された吉澤ひとみの運転する車のひき逃げ動画をご覧になった読者も多いでしょう。何より衝撃的だったのは、派手にはねられた自転車に皆ふりかえりつつも、誰一人近寄ることをせず横断歩道を渡っていく様子です。ネットで起きた炎上とは裏腹に、現場で行動に出る人はいなかったのでした。

 

「しっかり」しようとする明

明は、けい子がいなくなってからも家賃の支払いに家計簿もつけていました。勉強にも興味があり、野球がしたいという思いもある。でもそれ以上に、外に自由に出られるただひとりの長男として「家長」の役割をまっとうしようとします。

ファストフード店で「お母さんは勝手だ」と不満をぶつける明に、けい子は「あなたのお父さんが一番勝手でしょう。私は幸せになっちゃいけないの?」と逆切れします。明の目が明の父に似ていると言うシーンもあり、けい子は明と蒸発した父親を若干重ね合わせてしまっている。そんなことは明の知ったことではないのですが、明は黙ります。けい子にも事情があることを子どもながらに察しているのです。

生活が行き詰まり、職場に電話してけい子を頼ろうとしますが結局事情を話せない。けい子がもどってきたところで自分たちとの溝が埋まるわけではない、自分たちでやっていくしかないと決意したのでしょうか。

これは明の父親たちとは正反対の、家族に責任を持とうとする態度です。明は父親たちとは違う人間であろうとした。しかし、その心意気は逆に明を追い詰めていきます。明は人に頼ることができなかった。人に頼る技術がありませんでした。

作中で印象的なのは、万引きができない明の様子です。これはもちろん明が社会のルールをとても大事にしているからですが、終盤にゆきが椅子から転落して意識不明になったときの伏線としても重要です。明はなんとかしなければいけないと、けい子に電話しますが公衆電話でコインが尽きる。そして取った行動が、救急車を呼ぶのではなく、誰かに助けを求めるのではなく、薬を万引きすることでした。もちろん12歳が選んだ薬や処置が功を奏するわけがありません。翌日にゆきは息を引き取ります。

明と相似的なのが不登校の紗希です。紗希は困窮する明たちに身銭を切って介入したただ一人の「他人」です。紗希が協力するためにとった行動は、援助交際でお金をもらうことでした。その一部始終を見ていた明は、友人の万引きの誘いに乗らなかったように、援助交際のお金を受け取ることもまた拒みます。

万引きをした明と同じように、紗希もまた、自分の力で、自己責任の範囲で出来る行動しかとることができない。そこにしか思いいたらないのが決定的に「子ども」です。それも、自己責任を深く内面化した「子ども」なのです。私たちは、自己責任の範囲でできる最大のことをしようとする明も紗希も責めることはできないでしょう。二人のなんと「立派」なことでしょう。それこそが、この作品が物語る現代社会の深い深い深い絶望なのだと思います。

 

そして誰も知らなくなった

ゆきは出生も死亡も知られずに息を引き取りました。ゆきに飛行機を見せようと、明と紗希は羽田空港までモノレールを乗り継ぎます。この家に引っ越してきたのと同じように、スーツケースにゆきを入れて。

冒頭のシーンが物語るように、この映画の中心は喪の作業です。それが悼むのは、自己責任と無縁社会の終焉で誰も知らずに消えていった、巣鴨の事件で死亡した女児をはじめとする死者たちです。この映画があったからこそ、私たちはこうした死者たちを悼むことができるのだと思います。