ナベノハウス活動記録

熊本コモンハウス「ナベノハウス(鍋乃大厦)」@KNabezanmaiの活動記録です

健康で清潔で、道徳的な秩序ある読書会の記録

 年の瀬が迫ってまいりました。今年の締めくくりにふさわしく、12月27日に『健康で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』読書会が敢行されました。今年はZOOMで何度も読書会を開催しましたが、だんだんオンライントークも板についてきました。しかし、これは一年前にはまったく考えられなかったでしょう。

そしてこの変化はまさに、感染症に対する健康的で清潔な努力に即応した結果でした。新しい生活様式とは健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の強化に他ならなかった。

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トリ鍋

東京は健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の典型です。そしてコロナ禍において、その秩序は「三密回避」、「自粛」などによってさらに強化されました。

だがこの美しさは社会的圧力を帯びていて、そこに住まう私たちを美しさの鋳型へ、行儀良さの鋳型へと押し込んでいるのではないだろうか。(p20)

 私たちは犯罪を犯さず、被害に遭わず、他人を不快にせず、自分を大切にし、他人を尊重し、人権を重んじ、誰もが活躍できる美しい社会へととどまることなく進んでいる。

しかし、動物としての人間はもっと乱雑で、暴力的で、他人を傷つけ、不快にし、自分勝手な存在であり、そうした角を教育によって、訓練によって、啓蒙によって、丸くしていかねばならないはずです。その努力に終わりはないかもしれません。

この努力の限界は二つの方向で表れているように思われます。

一つは医療や福祉の膨張です。絶え間ない制度の拡充や周囲の理解の促進が、ともすれば秩序から外れてしまいがちな個人の包摂を可能にしています。

もう一つは少子化です。どんなに環境を整備しても、「動物」として生れ落ちるヒトそのものを変えることはできません。子どもが秩序から外れてしまうリスクは大きく、そして秩序に従うよう育てるための努力も膨大です。「子ども」がゼロの社会はありえないけれども、少なければ少ない方が理に適っている。

子どもをもうけるかどうかは自由意思に基づくものであり、とくに出産する女性の自由意思を尊重するものですから、ミクロな目で見れば子どもを産まないという決定に何も問題はありません。ですから、子どもが生まれないのは社会の問題だということにしかならない。おそらく、健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会では、さらに子どもを産みやすく、子どもを育てる人をサポートする努力がより一層課されることでしょう。しかし、そのような努力がほとんど意識化されていない時代の方が子どもの数は多かったのです。そこには根本的な背理があるのではないでしょうか。

こうした努力の限界に対抗するべく、技術も急速に進歩しています。私たちはたとえ意識していなくても、公共施設や居住空間の空間設計、アプリやGPSといったテクノロジーによるサポートなどによって秩序を守るように方向づけられています。Aiのサポートによる交通事故の減少など、その最たるものでしょう。

筆者はここにさらにもう一つのテーマ、清潔と健康を加えます。公衆衛生ファシズムや健康志向の行きすぎの指摘は個々になされてはいましたが、それを福祉や精神医療や少子化と合わせて包括的に提示したところに本書の面目があると言えるでしょう。

これらはかつてフーコーによって「生権力」として指摘されてきたものを彷彿とさせます。権力は否定や抑圧ではなく、動機付けや支援や包摂といったポジティブな方向から人々を努力し活動するように働きかけます。それは歓迎すべきことのはずなのにもかかわらず、不自由と束縛の臭いがかすかに漂っている。

この不自由と束縛の正体として、本書は二つの要因を挙げているように思われます。

一つは「資本主義と経済効率のイデオロギー」です。健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会をなぜここまで推し進めることができたのか、その原動力は、経済を回せる、労働しやすくなる、サービスの種類や規模、消費の範囲が拡大することと矛盾しないからにほかなりません。かつて経済至上主義は人間性の抑圧に結びつけられていました。しかし、個人を解放し社会を発展させることは経済至上主義と矛盾しないことをここ百年で資本主義社会は「実証」してみせたのではないでしょうか。もちろん、そこに環境問題が立ちはだかってはいるのですが。

一つは「個人主義と社会契約」です。人間関係はますます個人の間の売買契約を規範とし、個人の間のコンテンツを媒介したコミュニケーションへと変容している。しかし、これは自立した個人に収まり切らないケアや依存をアウトソーシングすることができた、ブルジョア男性モデルに由来する。そのディスカッションに参加できなかった女性や子どもや高齢者や障害者やマイノリティは、もちろん現在さまざまな運動によって急速に可視化されエンパワメントされているが、そうした運動の目標には「個人主義と社会契約」が可能な自立した個人であることが暗黙の前提となっている。

本書はあくまで現状報告を目的とし、処方箋も体系的な理論も示されているわけではありませんが、本年を締めくくる印象深い読書会となったと思います。

 

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